ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。


トラバ先は高校の時のクラブの後輩にあたる人。20以上も下なんでもちろん面識なんてあるわけがないが
たまたま捜し物をしていたら見つけた。あぁ一昨年の定期演奏会は見に行ったから一方的に見てはいる
かもしれない。


一般の人には理解しがたいかもしれないが件のクラブは我が出身校に必要不可欠なものだと今でも思う。
多分所属していない人にとってはどうだっていい存在だったかもしれないが卒業生なら一度ぐらいは
聖歌隊の歌う賛美歌に一瞬でも心を奪われたことはないだろうか*1


自分がいた頃は人数的には最盛期で定演の中高合同ステージでは計72名にものぼる盛大なステージが
出来たし先輩・大先輩もたくさん来て下さったのでエンディングのステージはそれこそひな壇に自分の
スペースを確保するのが大変なぐらいだった。現役は当然最後まで歌い続けるわけだが一度自分の出ている
ステージを自分で見てみたいとは思ったな。そういう思いはバンドをやってからも度々あった。そりゃ
ビデオ録りすればあとで見られるかもしれないが「生」で自分の演奏を見たかったものだ。
最後に必ずヘンデルハレルヤ・コーラスを歌うわけだがあれは是非聞く側になってみたかった。当時の
校長であった故・上田先生はハレルヤ・コーラスが始まると必ず起立して聴いて下さった。


そう言えば3年生が卒業するからこれからは自分たちがクラブ運営を担っていかねばならないという状況で
毎日遅くまでみんなであれこれ話し合ったこととか思い出したなぁ。所謂運営部分は高校生なんでなんとでも
なると思ったがパート・リーダーだけは全く自信が無かった。いやマジで誰か助けてくれよって感じだったな。
とか言いつつ結局パート・リーダーと庶務と会計を1/3ずつこなしたわけだw


>トラバ先の彼。
エントリーを読み損なってなければこの春卒業なんだな。先輩が卒業するのとはまた違った寂しさがある
のだろうけどこの年になって言ってしまえば「卒業するだけ」のことだわ。自分の知る限り上の学年も下の
学年も時々集まってどうこうって話は聞かないが85年卒のうちの学年だけは今でも年に何回かは京都に集まって
T先生にも来て頂いて食事に行ったり飲みに行ったりしてる。正確にはうちの学年が高3だった時の2年と
1年もかな。人生の中で幸運にも非常に切れ難い絆を見つけられた人は幸せ。自分の場合はホザナがそれかも
しれない。


今更ながら入る動機は不純だったがwホザナの一員であることを誇りに思う。
#軽音と兼部してたのは伏せておこう(汗

*1:「ない」とは言わないで・・・