和歌山県日高郡日高川町(拡散希望)

初めにことわっておきますが、私自身は実際に現地入りしてその目で見たわけではなく新聞の記事及び知り合いからのメールでしか状況を知りません。ですが、どうしても現状とその主因を多くの人に知って欲しいと切望されていますのでポストします。
個人的にも報道に偏りがあるのは感じますが東日本大震災及びその後の津波による被害の報道がそうであったように被害が酷い地域ほど情報が集まらず実際の被害とはかけ離れた報道になりがちだとは思っています。

和歌山県日高川町


以下、メール抜粋*1

大雨で被害の出た田辺以南の状況はテレビや新聞等で報道されてますね。元々、谷間に家が建つ過疎地が多いので地形的に孤立は必然的です。(頼りになるのは自衛隊だけです。どうか早く救助してあげて下さい。)

日高川町那智勝浦の色川地区と同様、都会からの移住者を積極的に受け入れている地域で、共に過疎の町です。だからその土地で死者が数人でるというのは甚大な被害がでているということなのです。

南と決定的に違うのは今回の日高川町は雨は降ったけれど決していつにない特別な雨が降ったわけではないということです。田辺市龍神村の雨が強く、その大量の雨がいつもは静かな日高川に流れ込み、ダムの最大流入量ぎりぎりまで溜め込まれ 、避難勧告もせず一気に放流してしまったから起きた出来事なのです。

いつもダムの水が放流される時はアナウンスがあり警報がなります。しかし、いつもは500から700t多くても1000t程度の放流なのになんの予告もなく一気に3800t/秒も一気に放流され激流に川の両側はえぐられ川幅の狭い場所は水位が驚く程高くなり堤防まで越えてあたりを水浸しにしてしまったのです。同じ水の量であるならば 一気に放流するのと徐々に放流するのとでは全く勢いや破壊力が違います。そんな誰でもわかる事がわからなかった県の職員、そして 県に任せて自発的に 避難勧告をだせなかった町に怒りを感じます。

自分達の地域で破壊的な雨が降ったわけではないので いつもの通り+α位の小規模な山崩れには地元の業者が対応し その晩のうちに片側通行できるように復旧していたのです。なのにその後の大量な放流のためにあっというまに橋や道や家はさらわれてしまったのです。昭和28年に水害があり、その水害を起こさないようにと設計されたダムなのに管理のずさんさから 甚大な被害をもたらしてしまったのです。

ダムの管理は水力発電所をもつ関西電力がしていたのを何年か前から和歌山県がしています。だから責任のがれのために情報操作しているのかと思う程 惨状が報道されません。

県内の土建業者は県と災害協定を結んでいるので 今ボランティアで 復旧作業を進めています。寸断された御坊までの陸路もわずか二日で通れるように復旧したので食料等の調達には大して支障はありません。ただ 過疎の町で不便で年寄りばかりでも助け合って生きてきた、故郷であるこの地域を愛し住んでいた人々の穏やかな生活を奪い取るようなことだけは許せない。

皆さんお願いです。被害が他よりは少ないと思われてる地域でも今回このような災害があったということを知らせて下さい。でないと、きっと見過ごされ視察も通り過ぎて行きます。

というように日高川町に限って言えば天災ではなく人災であると。それはそれとして、報道が薄い=被害が少ないというわけではないので既に近隣や縁のある自治体から支援の手が差し伸べられているようですがまだまだ復旧には時間がかかりそうです。



*1:ごく一部編集あり